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月は記憶の保管庫
ひとりの人間の充足は
遠い過去から脈々とつながっている記憶の
出会いであり 解放である

ブログ月の記憶を呼び起こせ

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そろそろ満月 16日 蠍の満月

梅雨に入るのだなと、雨ガッパと傘を持ち歩く季節になりました。
たまにはブログでも書くかと思うと、新月か満月あたりですね。
星の暦を見て意識しながら暮らして何十年経つと、見なくてもしぜんに身につくものですね。

しかし、最近の小惑星が占星術のとり入れる数が多いこと、アスペクトも新種が出てきてるみたいです。
ついていけないわ。
そうは言っても、小惑星は世界の神話の登場人物の象徴を意味付けてることが多い。
個人の意識と神の意識と結びくスピリチュアリティのニーズの先には何があるのだろうな。

例えば、偶然にも小惑星を発見した人が神話になることもあるのだな、普通の生活を送り望遠鏡をのぞいていたただの人が新たな惑星を発見した、いっしゅんだけ騒がれ名前がつくことで世界的には有名人に、でも生活はさして変わらない。
ある日、占星術愛好家が、この小惑星に惹かれて気にし始めて、どんな人がどういう風に発見されたかを調べる。
そして、愛好家のホロスコープにコンタクトをとった時に何が起きるかを待つ。

そうだな、この小惑星が愛好家のネータルの太陽に180度のコンタクトを取ったと仮定してみる。
その愛好家は、とてつもなく期待をするのではないか、何が起きるのか、行動した方がいいのか、ホロスコープを隅々まで調べるだろうな。180度は対立の緊張、防衛を考えるかもしれない、何かが起きることを恐れるかも。ぐるぐる期待と不安で頭はいっぱいになるかもしれないな。

しかし、コンタクトをとるその日、待てど暮せど、特にいつもと変わらない。何もない。
取り立てて珍しいこともなく、アクシデントもない。

三日は待とうと思う、3度まで効果があるのだから。

三日経った時、振り返ると、仕事でちょっと褒められたことはあった。いつもの通り道に新しい店がオープンしていた。うまいかどうか分からないケーキショップに並んで、家族のおみやげに買ってみた、喜ばれた、美味しかった。

占星術愛好家たるものは、あった出来事と星をリンクさせて辻褄を合わせる。
あれこれと、星の脳で考えあぐねた結果、この小惑星の影響は、スポットライトを浴びても、日常生活を脅かされず、喜びと平和と満足をもたらすのだなと、腑に落ちた。

きっと、この小惑星を発見した人も、名誉を受け入れつつも、誰かとこの喜びを分かち合ったのかもしれないなと。
この小惑星は「ちょっとした恩恵」の象徴にしよう。多数の愛好家に認知されると、メジャーになるのだね。

以上は全くの空想ですが、こういうのは面白そうだなと思いました。
占星術はノスタルジックな癒しのツール、レコードや古本と同じだな。タロットも古典。
こういった、新たな発見はいいね。楽しいと思いました。

「26日 満月の星回り」
太陽26°おうし 月26°蠍
強く密着したい欲望、執着は通りすぎることはない、薄っぺらい哲学は必要ない、相性って何ですか?

追記 個人的にN太陽とP月とT土星が合になりつつあります。7ハウスで。
7ハウスの土星は、他者から、もうそろそろ遊びのじかんは終わりだよと言われれているように感じる、まじめな相手を引き寄せる、真面目にやれと言われてるように思う。
他者を見て我を振り返る。
太陽と月は自由にやりたいぜ、私のやりたいことをやるぜー、次へ行こうみたいな、持ち前の軽さと明るさが久々に戻ってきたわけですが、そうは問屋が卸さないのが「土星」です。
やることやれと、そうそう方向性を変えたら、今までの信頼関係はどうするんだ。
いやーそろそろキャラ変したいのですがー
キャラ変?! 何言ってる 人間は積み上げていくものだよ。
今までやってきたことは十分だからといって終わらせのは無責任だ。人間としての務めを果たしなさい。
そういうわけで、若い時は土星は他者として現れるのだが、土星期が近いている齢ですので、社会人としての自覚を持たされる。そういう新月ですわ。

7、8年ぶりに新しいパソコンを買いました。
まだ、新しいパソコンのキーボードのタッピングに慣れないですわ。