木星土星を振り返って
すっかり涼しくなりましたね。
先週の土曜は新レグルス☆とタロットのサークルでした。
テーマは、木星土星。参加者個人各々の出世図の木星土星を意識的に深めることになりました。
わたくしも木星土星のテーマのになると、どうも語り口調が先生らしくなります。
真面目であり、こうして土星木星は使った方が人生が充実するよと定義を言ってます。
いつもであったら、当人の人生観にまかせる、人により違うといった考えですが、不思議なものです。
そういえば、特に勉強会の時に、よく「これはいいのか?悪いのか?」と占星術でもタロットの出たカードでも、聞かれることがあります。
基本的に、どの惑星にもどのカードに、いいも悪いもなく、本人の好みや人生の山や谷、人生観次第により違うと伝えるわけですが、この手の質問が後を立たない。
ここ数年、何でだろうかと、私の説明不足なのだろうと悩んでいました。
どのよにして、占い、タロットや占星術の楽しさや醍醐味を伝えられるのだろうかと摸索。
現在、トランジットの太陽7°乙女座、水星0°乙女座へ。
月27°射手座が土星射手座を通過して、真面目に。
そんな星まわりの今日この頃、はた、と思いました。
占い師は、人生を間違わずに進む良き方向性を指し示す先生といったところを求められているのか。そんなことを思いました。
そこで、自分を振り返ると、木星土星の人生の師範にはなれないな。意識はしてきていたものの、なかなか手強いものであり得意ではないです。
木星土星の枠組やレールから外れっぱなし、間違いっぱなしの人生ですよ。かろうじて、土星木星の枠の隅っこに何とか居続けているような私です。
木星土星は社会生活での成功や幸せ、自他ともに認めれる社会が大事です。
木星土星が安定したホロスコープを持っていると社会の常識とマッチしやすい。
木星土星は、社会が作る安全や常識を重んじます。
土星木星が強く、社会の中の自分の立ち位置と人生のロールモデルとしての手本になる覚悟と、こうして生きていくといいと自信を持って言えるんでしょうね。
そうなると、タロットの読み方も、いい、悪いがはっきりするでしょう。
ロールモデルってのは、主婦としてとか、女性としてとか、といった模範的な手本です。
落ちこぼれ満載な私。ホロスコープは、土星と木星が反発しあってますし、土星木星がトランスサタニアン(天王星、海王星、冥王星)に壊されてます、偏屈といったやつです。良くいえば、個性的とか。
それは、非常識ということではなく、社会常識に敏感に反応し常に意識しているといったことでもあります。わたし個人は「いいか、悪いか」を示す先生というよりも、船頭さんのような占い師です。、実際それだけではないエナジーがあります。これは説明しがたいです。経験値といってもいいし、生まれもったものかもです。
先日、久しぶりに、新宿の西口から高層ビル群へ向かう道を歩きました。
モニュメント新宿の目も健在で、歩く歩道もできてました。
スピーカーから「ここにブルーシートは張ってはいけない、露天は出してはいけない、公共の場所です」行政のお達しがずっと流れていました。機械人間のように規則正しく歩いたよ。
新宿の目とともに、ホームレスの人の宿が並んでいたのが名物だったではないか。
排除するのが役所の役目ではないだろうと、どうぞ、家がないなら公共の場所でどうぞと言うのが、行政の優しさじゃないのといらっとしました。
地方のアパートに移住して保護しているのだと反論がきそうですが。
しかし、長年、慣れ親しんだ土地や人がいるからこそ、生活やその人の個が活きるんじゃないのかと思います。白いピカピカした長いトンネルのような道を歩きながら、学生の頃、新宿西口で名物浮浪者の写真を撮ろうとして怒られたなとか、タバコや小銭をねだられたなとかそんな事を思い出しました。
そういう時代をないがしろにしているように感じて。
目指す社会は人により違うから、世界の作り方は難しいと痛感します。
ちなみに、トランスサタニアンは、土星木星が力を持ち過ぎて制度化が進み過ぎると、その制度を見直すようなできごととして現れることも。
もちろん、天災もトランスサタニアンの働きです。
社会常識と折り合いがつかず、折り合いをつけても、寂しさはにじむものですね。
「いい、悪い」の問いから、あなたは人生をどう捉えるのかと聞いているのかもしれませんね。
その問いには、向き合って答えなきゃな。